トーク・トゥ・ハー 
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鬼才、ペドロ・アルモドバル監督が描くラブロマンス。事故で昏睡状態になったダンサー・アリシアと女闘牛士・リディア。アリシアを影ながら愛してしまった看護士・ベニグノとリディアの恋人・マルコは、お互いの境遇に共感し厚い友情を育んでいくが…。
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トーク・トゥ・ハーの作品情報
| レンタル開始日 | : | 2004-02-16 | ||||||
| 制作年 | : | 2002年 | ||||||
| 制作国 | : | スペイン | ||||||
| ジャンル | : | 洋画 / ラブロマンス / ドラマ | ||||||
| 品番 | : | NKDF-2043 | ||||||
| 原題 | : | talk to her | ||||||
| 制作 | : | アウグスティン・アルモドバル | ||||||
| 脚本 | : | ペドロ・アルモドバル | ||||||
| 音楽 | : | アルベルト・イグレシアス | ||||||
| 収録時間 | : | 114分 | ||||||
| メーカー | : | 日活 | ||||||
| 音声仕様 | : | 西:ドルビーデジタル5.1ch、日:ドルビーステレオ | ||||||
| 面層 | : | 片面1層 | ||||||
| 色 | : | カラー | ||||||
| 字幕 | : | 日 | ||||||
| 画面サイズ | : | シネスコ | ||||||
| 受賞履歴 | : |
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トーク・トゥ・ハーのレビュー
現在36件のレビューが投稿されています。
評価分布
| 星5つ | (3) | |
| 星4つ | (9) | |
| 星3つ | (13) | |
| 星2つ | (8) | |
| 星1つ | (3) | |
レビュー総合評価
(3.0点)
こういう陰鬱とした作品は個人的にはよく見るのだけど、物足りなさは否めない。映像は美しいけど、それにしたってもっと面白くて美しい作品はあるな…と思った。どんな方向にでもいいから、もっと強さが欲しいと思った。
始めの方はなんだか変わった話だと思って見ていたが、後半というか、かなり終わり近くになって意外な展開になり、映像もぐんと良くなったと感じた。しばしばモダン・バレー風の舞踏のシーンがあり、最後の舞踏のシーンなどとても美しい。そして眠り続ける美女アリシア役のレオノール・ワトリングがとても美しい。その他、アリシアのバレーの先生役でチャップリンの娘ジェラルディン・チャップリンが出ていた。この女優も、もともとバレーを学んだ人だ。しかし凡人には理解しがたい物語という印象が最後まで残り、アルモドバルは女性を美しく撮るがその描きかたに独特のトランスセクシャルな感覚があって、自分には合わないのかもしれないという、「ボルベール」や「オール・アバウト・マイ・マザー」を見たときと同じ感想をもった。
アルモドバルにしてはかなり直球で来たな〜って印象。
静のイメージが強く全体的に物静かなトーンで色彩も暗め。
確かに人それぞれ愛し方は千差万別な訳で…しかしベニグノの一方的な独りよがりの
愛し方は成就するはずもなく。こんな愛し方をされたら迷惑千万。なんか可哀想な男でした。
女闘牛士って数こそ少ないがこうやって見ると中々様になっていてカッコよかった。
静のイメージが強く全体的に物静かなトーンで色彩も暗め。
確かに人それぞれ愛し方は千差万別な訳で…しかしベニグノの一方的な独りよがりの
愛し方は成就するはずもなく。こんな愛し方をされたら迷惑千万。なんか可哀想な男でした。
女闘牛士って数こそ少ないがこうやって見ると中々様になっていてカッコよかった。
2人が参考になったと評価しています。
悲しい映画。単なる恋愛ものでも友情ものでもない。
ペニグノとマルコ――。
元気なうちはろくろく話しかけられなかった(片思いの)恋人に、看病しながら話しかける男と、
元気なうちは沢山話しかけていたのに、恋人が倒れてからは言葉をかけられなくなった男。
正反対のように見えて、ふたりはとてもよく似ている。
二人の間で呼応するのは、
他者に伝えることが出来ない「もどかしさ」ではなく、
他者と隔絶された存在である自分への絶対的な「かなしみ」だ。
物語通して、「話す」「語る」「聞く」といった台詞、シーンを注意して観てほしい。
彼らは屈折し、孤独の淵に沈みながらも、「伝える」ということの意味を問うている。
伝えること、聞くことを上手にできるのが善だと思われている現代、
そこからこぼれてしまう悲しき人たちをすくいとることこそが、
コミュニケーションの本質であると思う。
物語の最後、マルコがアリシアのバレエの先生に言う
「話すのは案外簡単だ」という台詞に泣いた。
ペニグノとマルコ――。
元気なうちはろくろく話しかけられなかった(片思いの)恋人に、看病しながら話しかける男と、
元気なうちは沢山話しかけていたのに、恋人が倒れてからは言葉をかけられなくなった男。
正反対のように見えて、ふたりはとてもよく似ている。
二人の間で呼応するのは、
他者に伝えることが出来ない「もどかしさ」ではなく、
他者と隔絶された存在である自分への絶対的な「かなしみ」だ。
物語通して、「話す」「語る」「聞く」といった台詞、シーンを注意して観てほしい。
彼らは屈折し、孤独の淵に沈みながらも、「伝える」ということの意味を問うている。
伝えること、聞くことを上手にできるのが善だと思われている現代、
そこからこぼれてしまう悲しき人たちをすくいとることこそが、
コミュニケーションの本質であると思う。
物語の最後、マルコがアリシアのバレエの先生に言う
「話すのは案外簡単だ」という台詞に泣いた。
植物状態の二人の女性をめぐる男性たちの話だが、ベニグノはちょっと気持ち悪かったな。ストーカーと似たような、勘違いに近い一方的な愛情。
あと、寝たきりの女性の裸のアップが無意味に多かったりしてエロティシズムを前面に出してくるのもなんかテーマと関係ないだろ、と思ってしまう。
女性が見ると不愉快な印象が残るかもしれない。
あと、寝たきりの女性の裸のアップが無意味に多かったりしてエロティシズムを前面に出してくるのもなんかテーマと関係ないだろ、と思ってしまう。
女性が見ると不愉快な印象が残るかもしれない。







